学問の神様といえば誰を思い浮かべますか。多くの方が菅原道真の名を挙げるのではないでしょうか。合格祈願で日本で有名な神社ではほとんどが菅原道真が祀られている神社です。なぜこんなにも学問の神様として崇め奉られるようになったのでしょうか。その経緯には道真公の人生が関係しています。
菅原道真は奈良で生まれたと言われています。しかしそれも定かではなく京都や島根などで産まれらという説もあるくらいです。そして幼い頃から頭が非常によく歌を詠むのに優れた才能を発揮したと言われています。しかしながら道真公が生まれ育った家庭というのは当時は中流家庭だったのです。通常そのような家庭から朝廷での仕事を任せられる方はほとんどいなかったのですが、道真公はその才能を発揮し朝廷の仕事を任せられるようになっていったのです。当時権力を握っていた宇多天皇にその才能を見いだされて政治的にもかなり重要なポストにつくこととなりました。その後の醍醐天皇の政権下でもやはり重要なポストを任せられたのですが、道真公の政治的考えを気に入らない貴族も多く、また道真公自体も中流家庭の出身であるにも拘わらずこれだけ出世をしたことをねたむ者も多かったために策略により左遷させられることとなってしまったのです。左遷先は現在の福岡県にあたる太宰府でした。そしてその地で道真公は生涯を終えることとなったのです。また道真公の子供もまた島流しの刑を受けることとなったのです。そしてそのままその地で埋葬されてそれが現在の太宰府天満宮の元になったと言われています。
道真公の死後京都では異常事態が多く発生しました。まずは次期天皇が急死してしまったのです。そしてさらには道真公を左遷に追いやった人たちが相次いで急死するという事態が起こったのです。それを多くの人が道真公のたたりだと確信し島流しにしていた道真公のお子さんを呼び戻したのだそうです。そしてその魂をおさめるために各地に道真公を祀る神社を建てたのが学問の神様として多くの方に崇拝されるようになったのです。